くさの頭の中

頭の中を整理したい自己満ブログ

”共通言語”で円滑な議論を

先週から今週にかけて、とあるお勉強会に参加してきて、たーーーーーーーーーーーーーっくさん学びがありました!少しずつアウトプットして自分の復習につなげようと思います。

 

それがもし、みなさんにとって学びになるのであれば、まさにwin-winなんじゃないでしょうか?

 

実は昨日の記事もこの関連です笑。少し書いているけどね笑。昨日の話は、講義の中ではメタ認知という言葉で説明されていました。

 

はじめにお勉強会がどういうものだったかを書いておきます。

一言でいうとイノベーションの理論を学び、実践する場でした。多様な人が集まって新たな価値を作る練習をしていました。学生はいろんな大学の人がいたし、企業の方も、教職員の方もいらっしゃいました。

そもそも講義で習ったことをここに書いてしまったら先生が儲からなくなってしまうかもしれないのでビビりながら書こうと思います笑。共通言語広めたいって書いてあったので、大丈夫でしょう笑。*1

教科書があるので、ご紹介しておきます。ベースは教科書ですが、講義で追加情報とかもあるので、教科書に載ってないことも書いてるかもです。

 

ザ・ファースト・ペンギンス 新しい価値を生む方法論

ザ・ファースト・ペンギンス 新しい価値を生む方法論

 

 

 

さて本題です。

とりあえず、今日は「共通言語を作る」ことがめっちゃ役立つよってのをつらつらと言語化してアウトプットしていこうと思います。組織運営には有用かと思います。

結論、「素早い議論展開が可能になる」というメリットがあります。議論の中で出てくるモヤモヤで、前提が共有されていないことに起因するモヤモヤは不要です。一方で異なる主張を持っていることによるモヤモヤはアウトプットを高次元へもっていく(所謂アウフヘーベン)に必要です。この不要なモヤモヤをなくす一つの手段が「共通言語」です。共通言語とは、日本語とか英語とかではないです笑。ここでの共通言語をもつ、とは「思考の方法論や、そこで出てくる単語の定義を共有した状態にすること」です。例えば野球などスポーツで作戦やサインをつくるようなものです。やっていたわけではないから詳しく知らないし、適当な例かわからないけど笑。ピッチャーとキャッチャーの間で、一本指はストレート、二本指はカーブとか”サイン”を予め共有しておきます。同時に1番バッターは低めに緩急をつけて攻めようとか、2番バッターには内角速球で攻めようとか”作戦”を決めておきます。だから、マウンド上でもピッチャーとキャッチャーはサインを出したり、首をふるだけで意思疎通をできるのです。短時間でコミュニケーションを取ることが可能となるのです。

ていうのを思いついたけど、あんまいい例えじゃなかったなあと反省しています。なので、実際の様子を書きます。

また、後日書こうと思いますが、イノベーションを起こすための思考や議論のプロセス、その中で出てくる言葉の定義を”共通言語”としていました。簡単に言うと、fact(場にある事実情報)を統合して、Insight(新たな洞察や仮説)を見つける、みたいな思考プロセスを参加者内で共有していたので、次に何を話そうか?という論点が明確化されていたことや、言葉の前提のズレを修正する時間のムダがありませんでした。それによって素早い議論が可能となる、というのが手の内です。皆さんからすれば、factってなんだよってなるかもですが、本講義のOBOGは全員わかります笑。

 

何が言いたいかというと、議論の共通プロセスや言葉の定義を予め設定してしまって、組織内で共有すると円滑な組織運営に繋がりますよ!って言うことです。言葉の定義は共有されていることが多いかと思いますが、思考プロセスが共有されていないことは往々にしてあるのではないでしょうか?それによって論点がブレブレになって不毛な議論が行われていないでしょうか?それによって本当に話さないといけない本質的な論点、深い思考が行われていない状態に気づかないまま、時間が経ってしまって疲れたから議論終了、みたいなことになっていないでしょうか?っていう問題提起を僕はしたい。

 

 

まあ、少し熱が入ってしまうのは僕の失敗経験があるからです笑。ああ、そういえば、最近学生委員会へのアレルギーが軽減されてきたので、振り返りを交えます。あくまで軽減です、はい。

僕は決して組織運営を満足にできたと思ってなくて、それが心残りっちゃ心残りです。満足するために理想の状態を定義づけしていなかったという問題こそあるとは思いますが、当時は定義付けという概念が僕の中になかったです泣。今こうして共通言語を知った後だと、議論のプロセスが明確化されていなかったなと思います。途中から結論はなにか?とかを設定するようになったのは成長だったのかな?と思いますが…

就活のGD的議論プロセスは

前提共有と決定→発散→収束(→発表)

ではあります。GDの場合、時間がめっちゃ短いので本質的なところまで議論するというプロセスが組み込まれていないです。なので、質を追い求める議論をする際には不適かと。企画づくりにしても、潜在的ニーズという深いところまで議論する、という考え方がないので、表面的ニーズにとどまったものにとどまる。結果として毎年のように同じアウトプットが出てくる。そもそも企画作りをする必要性があるのか、とか、企画づくりをしたあと、内容を詰めていく中で内容を大幅に変えることを良しとしないってのもどうなの…?とは思いますが、別にぐちとかではないです。何なら興味ないので。

 

少なくとも事実ベースで議論する必要はあるんじゃないですか?何事においても。

 

 

話が変わってしまいましたが、共通言語をもつことで円滑な議論をすると、生産性が上がるよ!っていう話でした。